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20年ぶりの京都タワー展望台・・・上からのぞくプラッツ近鉄解体現場    

1月の末頃、京都タワーの展望台に上がりました。
改めて考えると、たぶん、、、小学生の時、おそらく20年ぶりです。最近、京都タワーがリニューアルして、お化け屋敷とかが無くなったとか聞いて、気になってたんですよね。

kyototower1266.jpg建築を学びだしてから、何かの本で「京都はヒューマンスケールの町である。アイレベルで見た時には美しい町でも、空から見て決して美しいものではない。」というような文章を読んだことを思い出しておりました。

実際に空から見た(というほど高くはないけれど)京都は、たしかにきれいとは感じませんでした。ノスタルジーというわけではないですけれど、瓦屋根があまり見えないのは大きいかもしれませんね。いわゆる人々が持つ「古都・京都」という思いには応えられていないんだろうなと感じました。市長選も始まり新景観条例が争点のひとつになっていますが、わたしたちも京都で建築に関わるものとして真剣に考えていきたいところです。

印象に残ったのは、やはり「山に囲まれている」ということ。わたしが生まれ育ち、そして仕事をしている町は、この山に囲まれた範囲の中ですべておさまっている、というのは、本当にいろいろ考えさせられます。

山により町の範囲が物理的に限られていることは、町の範囲が茫漠と拡大するのを防ぎ、キュッと詰まった密度の高い町が作られるきっかけになっているなということも感じます。その密度の高さが、住んでいるものは少しの移動でいろいろなところに行けるという魅力になっていると考えています。

kyototower1283.jpg京都タワーに登って、思ってもみない光景を見ることができました。それがタイトルにも書いたプラッツ近鉄の解体現場です。ど迫力ですね。圧倒的な物質感のようなものを感じる。コンクリート巨人VS小さな人間。そんな無謀な戦いにも見えます。ヨドバシカメラが今年この場所に進出するのですが、大正時代に建物の老巧化が激しく解体することを決めたようです。これを作ったエネルギー、そして壊すエネルギー。とんでもない量になるゴミになるコンクリートの固まり。建築の持つ功罪を感じざるを得ませんね。一方的に否定をしたいわけではありませんが複雑な思いを持ち見ているのは確かです。

kyototower1278.jpgそんなことをさておいたとき、すごくシンプルな気持ちとして、大きな固まりに挑むパワーショベルなどの「重機」には、かっこよさを感じます。こういうときに自分が「オトコノコ」なんだなぁと感じたりします。そしてコンクリートの床が破壊され、空いている穴にも、なにか美しさを感じたりもします。地球に対する負荷と、人間が作りあげるものに対する畏怖、人間の持つ破壊衝動、わたしがいまここで感じる美しさ、かっこよさ。これを組み合わせたときに、自分としてどういう答えをだすのか。答えを探しながら行動していきたいと常々思っています。

kyototower1275.jpg京都タワー展望台はかなりにぎわっておりました。京都及び関西圏にお住まいの方にはなんか古くてださいようなイメージを持たれがちな京都タワーですけれど、行ってみると楽しくて、なにか発見がある。

町に思いを寄せるもよし、自分の住んでいる家を探すもよし、高いところにあがってストレス解消するもよし。一度登ってみてはいかがでしょうか。

河原 司

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